2013年3月7日木曜日

笛、一噌仙幸さんの話の続き。
きっとこういう事なんじゃないかなという推測で結論を出す。

翁とは、そういう生き物なのだと推測する。

若い人は「その仕事」に向き合うとき、最初から全力で頑張る。全身の感覚を研ぎ澄ましてありったけの集中力で臨む。
だけど翁は、もうそんな事をする必要がないのだ。
楽に力が抜けていて、「さぁ今日はいいものが出ますかな」というところ。人を煙に巻いて楽しむのも、私が今までに出会った翁によく見られる特徴だ。

隅田川の最初がどうであれ、どこでどうすれば客が満足するかという事を、その塩梅を知り尽くしているのだ。
「その仕事」を極めた翁だからこそ出来る、塩梅なのだ。
恐るべし、翁・・。


昔テレビで、イタリアのクレモナで行われたヴァイオリン製作のコンクールを見た。
ストラディバリやグァルネリが暮らしたその街で、若き弦楽器職人達のコンクールが行われているのだ。

その審査会場で、イタリア人のヴァイオリニストが、エントリーしているヴァイオリンを順番に弾いていく。
既存の曲にマッチした楽器が作られてしまわないように、このコンクール用に作曲された新曲(7分位のもの)を、そして楽器の見た目の特徴が審査員に分からないように、舞台上にカーテンを立てて、その内側で一人のヴァイオリニストが何台ものヴァイオリンを順番に弾いていく。

このヴァイオリニストが、やはり翁で・・・
最初、新曲を初見で弾いているらしく、全く弾けていない。たどたどしくつっかえて、音程とか・・・こんなのアリなの?って具合。
それが、コンクールが進むにつれて(何台も弾いていくうちに)うまくなっていて、最初と最後じゃ雲泥の差。
え、これは審査に影響しないわけないよね?と。
なんていい加減なんだ〜!いい加減すぎるよ〜〜〜!と口あんぐりだった私・・・
やっぱり翁がやってるからだきっと。なんか多分、分かっていたんだよ。恐るべし翁。。


それからもう一つ思い出したのは、井上陽水の話。
奥田民生が、井上陽水と一緒にウルフルズのレコーディングに参加した時のこと。並んでアコースティックギターを弾いていたが、どうやら陽水は音を出していない。みんなで突っ込むと、陽水は「本当に弾いているようじゃまだまだ甘い。弾けばいいってもんじゃないんだ」と言い放ったという・・・。
井上陽水はまだ翁って歳ではないけれど、かなり翁の達観度が高い。こうなるんだきっと。恐るべし!

写真は、翁の面。面によって作りが違うから面白い。
天下太平・五穀豊穣を祈念する神の面。


2013年3月5日火曜日

子役

ここからは、芸の凄みとは関係のない話なんですが・・・
「隅田川」でラスト、子役が登場するパターンと登場しないパターンとあって、先日の隅田川は登場するパターンでした。

登場することは事前から分かっていたのですが、
子役の声がした途端に「げげっ!」と思ったのは私だけではないはず。あの高い声。お母様を呼ぶ声。念仏を唱える声。めまいがしましたよ。
その後、塚から出てきたその可愛らしい姿に、更にがび〜ん・・・
だって子供の幽霊は、大人が見たくないもの第1位でしょ?大人より先に子供に死なれるって、それが誰であろうとたまらない気持ちになるわけです。可哀想すぎて。申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。昔はこういう子がいっぱい居たかと思うと、不憫で不憫で。

まぁ救われたのはですね、フツ—に子役が下手だったことです。よかった。心の中でツッコミ入れてたんで、泣かずに済んだ。化粧道具は持ち歩かないので、とにかく泣かなくてよかった。

というか、この1時間25分の曲の中で、この子役くんが登場するのはラスト15分くらいなわけで・・・
1時間以上、舞台中央の塚の中に隠れていたわけで・・・
男の子二人の母としての私、「まぁ、えらいわぁ!寒くなかった?よく頑張ったわね!いきなり出てきて人がいっぱいいて、それなのに声が大きく出ていてえらかったね!」とうんと褒めてあげたい一方、
芸をこよなく愛する者としては「もうちょっときばってやぁぁ!」と思うのであった。(鬼〜)

子役は9歳くらいかな?粟谷さんちの子だね。整ったお顔立ちで。可愛かった。それで二重丸か。
15歳くらいになって美少年になっていたらいいね。頑張ってね!


芸の凄み 構成力

二つ目。
この「隅田川」での長老トリオ、始まってからの3分の2までの時間(けっこう長い時間ですよ〜)、全体的に音量が大きいのなんの。もう遠慮無しの3人。
主役の能夫さんは繊細な声の持ち主で、この日は女役なものですから、これはアンサンブルとしてどうだぁぁ?という。
大鼓の人は特に声も大きいし、3人して楽器も声も豪快に鳴らしてるわけです。やっぱり長老には誰も意見ができんのかな?とか色々推察しながら、ここに地謡の人達も加わるし、私は日々鍛え上げたこの耳で能夫さんの声を必死にキャッチするわけです。

室内楽大好き人間としては、このアンサンブルの行方を汗握りつつ見守っていたわけで。

しか〜〜〜し!!それあってのラスト3分の1が栄える、魂の静寂と哀しみと感動と。計算だったわけです。
あのガラガラした喧噪あっての、今。こちらの気持ちに静かに確実に染みこんでくる狂おしいほどの哀しみという、技。
喧噪がなければ、この静寂の感動は絶対にないと確信できるものです。だからこその、「隅田川」の大成功。


私のこの前の1月のコンサートで言うと、あのゴールドベルクの変奏曲達とラフマニ編曲のパルティータでの大音量あっての、あの愛しいシューベルト。あれと同じことです。皆様シューベルトを聴いて、様々な思いを抱かれてシューベルトを心から愛して下さった、あの時のことと類似しています。

あぁ嬉しい、ジャンルは違うけれども技は似てるのね、という相通じる瞬間。
場面場面をただ美しくというのではなくて、トータルで構成を考えて、うるさいという技。その後のオアシスという技(ここには更に、細かい細かい技が介在するわけですが・・)。西洋クラシックでも、コンサートをプログラム1曲単位で考えてはだめです。
こういうトータルの構成が出来なければ、プロとしては駄目、ということ。1曲1曲ちまちま考えてやってしまうと、ただの「まぁ素敵ね〜」という上辺の言葉しかもらえない、魂のない「上品屋」に成り下がるでしょう。

この日はいいものを見せていただきました。



あれ・・・・・まさか、あの笛の最初も、計算だったのかな?
いや〜でもあれは、本当に計算でやっていい次元を越えていましたけれど。
エンジンかかるのに時間がかかったのか、どっちかな?
わざとやっていたの?ねぇ先輩。また聴きにいきます。


芸の凄み 笛

日曜日に観に行った粟谷能の会。
余談的な、面白かった話を三つ。

まず一つは、「隅田川」の笛について。
能1曲目の「俊成忠度」の囃子方トリオ(笛・小鼓・大鼓)は中堅世代の方々でした。それぞれに、内容はなかなか良かったかな。
それが狂言を挟んで、能2曲目の「隅田川」で登場した囃子方トリオは、年季の入った長老世代。

役者や囃子方達が「橋掛かり」を歩くのが好きな私は、登場から凝視するのですが、長老達はまぁ〜遅い。しかし丹田はさすがに据わっているわけで。関節とか相当に痛いんでしょうけど、丹田で安定して歩いてる感じ。これはいいぞぉ〜と思って更に凝視し続けて・・・

で、曲が始まって。
笛が、ひどいのなんの!音が鳴らないんで・・。
味とかじゃなくて、本当に苦戦しているんですよ。
私は心の中で「これは相当にやれていた人が、老年になって身体が言うことを聞かなくなった、あの恐ろしい現象なんだろうか。ならば辛いに違いない、私が愛してやまない青木十郎先生も談志も、こういう事で老年性うつになったのだから・・」と思ってみたり、
「いやまてよ、若い頃からボチボチに適当だったのが、今更にひどくなったっていうパターンも考えられるな。としたら・・この老いぼれめッ!」などと思い巡らせながら聴いていたのでありました。(ほんとゴメン)

この「隅田川」は1時間25分の大作です。
そしてラスト3分の1の所で、とんでもない事が起こったのです。笛が、笛が、この世のものとは思えなうような音を出し始めて、私は驚愕したのでした。
この世のものではない音って・・すごいですよ、本当に。
音というか、もはや魂そのもの。しかも希有な魂。
能楽は若い頃から観てきましたが、こういう笛の音は聴いたことがないという、素晴らしい素晴らしい笛だったのです。
それから最後まで、この笛は私に何度も鳥肌を立たせて、今日この場に来られた事を感謝せずにはいられない現象を作り上げてくれました。

帰宅して、家族に話す。
「どう理解したらいいんだろうね?あの最初のひどさと、最後のあの希有な音色は。ああいう事が同居するってのは、考えられない。」


それでどうしても気になって、翌日に調べてみたら・・
その笛は、今までに二人しかいない笛の人間国宝のうちの、存命の唯一の方でした。
一噌仙幸さん。

そうか〜人間国宝だったんだ。いい音持ってるな〜。
ってまてよ?あの最初は何だったの?

人様の芸を拝見するのは面白きことなり。
これだから観るのはやめられないんだな。


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