2014年6月21日土曜日

そのつづき


私がもっともだと思う言葉。「プロはどんな状況でも80点以上の結果を出さなければいけない」
その通りだ。実にその通り。
うん、80点以下のコンサートは、もう20年はないんだ。
しかし!その日のコンサートは30点かな・・いや5点か・・
う〜ん、自分を責めればいくらでも0点に近づいていきそうだ。
あの日、その演奏を聴かせてしまった友人達にはうんとうんと素晴らしい音楽を、私の演奏で聴いてもらわなくちゃ。その一心。大切な人達だから、いい演奏を聴いてほしかったな。私は義理堅いから、何としてもこのリトライは果たすでしょう。。



音楽の魔法が使えないというのでは、私が音楽を奏でる意味が全くなくなってしまう。聴いている人の心を熱く揺り動かす魔法。
私の音楽の魔法というのは、ピアニストの誰もが使えるものではなくて、私の一生をかけて育ててきたことだから・・・。
世の中に出る方法として分かりやすいのがコンクールなのだけど、私は中学生の頃にコンクールをめぐって先生とケンカをしている。どうしても私をコンクールに出したい、出たら絶対に結果が出るのは分かっているから出てほしいという先生に対して、コンクールで勝つ弾き方というのは私の目指すものと正反対のもので、その道を突き進むならば私は大切なものを失ってしまう、極度にミスを避け分かりやすいテクニックの披露のための練習で次第に失っていくし育つこともない本当の音楽の技巧と魔法は、私にとってかけがえのない音楽の魅力そのものだった。

すったもんだの末に、高校は1番の成績で入学するというこれまた私にとって興味のない約束をして、何とかコンクールは免れたのだった。(その約束の結果は2番。興味がないと思っていたけれど、これは入学後に色々と優遇されたので便利なこともあり。先生に感謝しないとね・・。)

自分の理想とする音楽がどういうものか、具体的に。その為に自分が必要とするものと拒否するものとを価値観として強く持っている。こういう事を中学生で考えている人は、少ないのではないかなと当時の記憶をたどると思う。

こうやって自分の肉体と心にせいいっぱい育ててきた魔法だから、ある日突然にぷっつり使えなくなった驚きというか、困惑は・・。いやほんとに、びっくりした・・・。


体調の変化というものは、予兆はあったのだ。
まず体重の変化。
私は高校生の頃から20年以上、ずっと体重が変わることがなかった。0.5kgの増減もなくて、出産の後も自然と早くに戻っていたし、私はきっとこういう体質なんだろうと思っていた。
だけど今から半年前、ももに違和感。皮1枚分だけ余分な感覚で、歩き方がいつもより精細を欠くというか、ほんの些細な事なのだけど身体感覚は敏感に管理しているのでちょっと気にする。でも3日程度でいつもの感覚に戻る。
それから1ヶ月後に体重を計ったら5kgも増えていた。
長年0.5kgの増減もない人が、突然に5kg増えていたらものすごく驚く。え?どこに?と思って鏡を見ると、なるほど肩と腕が見覚えのある自分の体とは違う。

ももが皮1枚分重いぞと思ったあの警告?以来はもう何も感じなくなっていたわけで、そうか〜私もついにそういう年齢になったわけかと、夜の飲食をやめる。
でもこの肩と腕は嫌いじゃない。この肩のほうがドレスが似合うんじゃない?貫禄があっていいわ、なんて思っている。
こうやって体調の曲がり角というやつを曲がり始めた。そういう予兆はいくつかあったのだ。

つづく

2014年6月12日木曜日

大スランプからの脱出


実はここ1ヶ月半ほど、大スランプに陥っていた。
およそ20年ぶりの大失敗、いや今までで一番の危機だった.と言ってもいいかもしれない。

その原因は老化現象(!)によるもので、肉体の変化に(しかも数種の)に戸惑いつつ何ひとつ対応できず、まったく酷い本番をしてしまった。

事の経緯はこう。
4月末にコンサートがあり、カゼをひいて体調はよくなかったけれど音楽の出来はまぁ良かった。
本番前にカゼをひくこと事態がすでにおかしいような気もする。だけどここまでは何とか?持ちこたえていたのかもしれない。

その後、5月前半に親しい友人を招いてのミニコンサートがあり、どんな規模のコンサートでも決して力を抜くことのない私は練習に集中していた。
だけど、5日前になって何かがおかしい。
音が、生きていない。
たいして悪いというわけではないけれど、音楽にときめきを感じない。
おかしいな・・・?

この時は「ま、疲れているんだろう」位にしか考えていなかった。本番前に何かアクシデントがあっても慌てることなく、その時にできる事をする。それがいつもの鉄則で、この時は「休息をとること、好きなことをしてリラックスすること、適度な練習」をミッションとする。

前日。やっぱりおかしい。というか、指が動かなくなってきている事に気が付く。動きが鈍い。これは大問題。
きっと5日前の「音が生きていない、ときめかない」というのは、脳の伝達から指が動くまでの瞬間がいつもよりほんのコンマ何秒か遅れていたからなんだ。そこに今気が付くようになったのは、気が付くほど更に遅れるようになったのか、あるいは脳が状況認識できるようになったのか。どっちだ?とあれこれ分析を始める。

それと併せて、耳がいつもと違う。
私の耳は普段、少し変わった意識をしながら生活している耳だ。鳥の声や風の音、それから車の音や、自分や周囲の人々が出す音などが、屋外ならば建物の壁や木や地面に、屋内ならば壁や家具に反響して自分の耳に多方面から届くのをいつも「あぁこの地形ならばなるほどね」と思いながら聞いている。これは幼い頃からだから、もう考えるとかいう次元ではなくて、そう聞こえて無意識に「そうね」と思いながら音を聞くというのが当たり前になっている。
建物の中を話しながら歩いていると、場所ごとの反響で自分の声が異なるので、面白い響きの所は何度も行ったり来たりしてしまう。多分幼い頃にこういう事が楽しくて、こういう耳に育っていったのだと思う。
家族には聞こえないけれど「〜km先のあの辺で工事をやってるね」とか(あとで確かめるとやっぱり工事している)、雨が降る前、ザーと雨が近づいてくる音に誰よりも早く気が付いて、秒数を数えながらうっとりとその方向を見ていたりする。

それがこの日、突然聞こえなくなってしまった。
音はただの音で単発的な音でしかなく、その遊びは全く聞こえなくなっていた。それから大切な・・・和音を弾いた時に部屋の隅の高いほうで聞こえる、これを世間の人々は倍音と呼んでいるのだろうか、あの美しいハーモニーも聴こえなくなっていた。

耳は指以上に、音楽家にとって大切なものだ。
指以上にだなんて、いかに大切なものかというのを分かってもらえるだろうか。
生活するのには何ら困ることのない耳でも、音楽をするのには大ダメージで、というかオプションの付いていない耳で弾いたことがないのだから、もう訳が分からない。
ピアノを弾くも、あげくどこを弾いているのか、自分の指なのか他人の指で弾いているのか、耳はファンタジーを失って、すっかり心の中が静まりかえってしまった。(こういう時、大混乱になるのではなくて静まりかえるのは私らしいと思う。びっくりすると、シーンとして考え込んでしまう。)

色々と出来うる処置をするけれど、改善しない。この時は原因が分からないので、頭の中は?マークでいっぱい。

ここでテンションが下がるのは嫌なので、「明日はうまくいくさ!」と考えるようにする。もともと超がつくほどのポジティブ思考だし、自己暗示もとびきりうまい。麻酔無しでは出来ないようなものすごく痛いはずの治療を、麻酔無しだけど自己暗示で痛いの一言もいわず、むしろ笑顔で乗り切って医者に「勉強になりました!」と握手をされるほどだ。
大丈夫。私だったら大丈夫。私の使命に集中しよう。誰かと音楽を共有する明日はきっと素晴らしい時間になるはずだ。そう自分を信じていた。

つづく

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