2016年12月23日金曜日

続々・漱石とグールドと安部公房と武満と

前々回
漱石没後100年というところから
グールドが『草枕』の虜になっていたことを書き、

前回
「続・漱石と〜」では
安部公房の『砂の女』
河合隼雄や村上春樹の引用をしながら、
精神的に生きるとは「掘って掻き出す」
ことなんじゃないかと書いた。


そして今回はようやく最後。
グールドが、映画化された『砂の女』
虜にもなっていたことを書きたい。


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映画『砂の女』は安部本人の脚本で
監督は勅使河原宏、音楽は武満徹、
1964年に公開されたものだ。



グールドはこの映画を35歳の時に
初めて見たという。


35歳というと、まさしく中年クライシスの
始まりの頃になる・・・一般論だけど。
でもグールドにもそれはあったんじゃないかな。
著名な芸術家を見渡してみると、
だいたいが35歳〜40歳で大きな転機を迎えている。



グールドはこの映画を「100回以上は見た」
と言っていて、
この逸話に人はよく「100回は盛りすぎ」と言う。

だけど私は、実はグールドはもっと見て
るんじゃないかな〜と思っている。



『草枕』が好きで毎日読んで、
従姉妹に2晩かけて朗読してやったり、
ラジオ番組でも朗読したり、
また日々の生活
ピアノの前に座って同じパッセージを
100回も200回も繰り返しては
あれこれ試して楽しんで、
実際に弾かない頭の中では
1万回も2万回もリプレイして、

・・・こういう人は
気に入った同じものを
何回も見たり味わったりしながら、
例えば映画なら
人物ごとに目線、声のトーン、表情、
それらに注目して見ることに何回もかかって、
背景や光の加減やカメラアングルを
見ることにも何回か、
この場面にこの音楽はベストマッチか
推考するためにも何回か、かかる。

ここまででかなりの回数がいっている上、
今度は自分の時間の経過とともに
見え方が違ってくることを確認する
楽しみが加わって、
かけ算がエンドレスに広がっていくから
『砂の女』を200回見るなんてすぐだろう。
グールドはそういう趣向の人間なんだ。


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グールドの研究家は、グールドが
『草枕』『砂の女』の虜になった理由を、
作品から
トランセンデンス(超越)セレニティ(安らぎ)
を感じていたからだろうと述べている。

それはもちろんそうだ、
魅力的なものには必ずそれがある。


それに加えてやっぱり私が思うのは、
『草枕』『砂の女』
『ゴールドベルク変奏曲』のような作品には、
繰り返し反芻することに耐えうる力があって、
繰り返すほどに輝く性質の
掘って掻き出して生きるための
映し鏡、あるいは伴侶、
グールドがそれを嗅ぎ取ったからだと思う。


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そして武満徹。

前出の日本の文学や映画に
惹かれる外国人は、
アファナシェフがそうであるように、
も好きだったりする。

映画『砂の女』の音楽を作り、
その他多くの楽曲を残している
武満徹は、日本独特のの観念
「音のない時間に宇宙的な広がりを感じて」
慟哭するほどに深く包まれて感動する、
ぐっと胸をつかまれるような、
そういう精神性を持って
音楽を書く作曲家だ。

また、この世に存在する物質の法則を
音に表してスピードの差をつけながら
輪廻するように「繰り返す」、
そういう作風でもある。


グールドの言葉を借りれば、
「芸術の目的は、
瞬間的なアドレナリンの解放でなく、
むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を
生涯かけて構築することにある」
この驚嘆と静寂は
トランセンデンスセレニティ通じるもの
でもあり、またに顕著な特徴でもある。


グールドは、
武満徹の音と、音のない時間とに、
驚嘆と静寂
を見ていたのではないだろうか。

極限まで研ぎ澄まされた、
超繊細な美的感覚で・・。






『草枕』『砂の女』
『ゴールドベルク変奏曲』『武満徹』
繰り返すことで、
精神的に「生きる」ことの
伴侶になり得る作品群。

漱石と、グールドと安部公房と
武満と「大江健三郎と」・・・
終わりなく繋がっていくけれど、
とりあえずここまで。完。

また、武満徹の作風について
書けるといいな。
だって、とても素敵だから。。



2016年12月15日木曜日

続・漱石とグールドと安部公房と武満

前回につづく、とりとめのない話。

前回は漱石の没後100年というところから、
漱石の『草枕』を好きだったグールドのことを書いた。


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私が小学生だったころ
どんな子どもだったかというと、
学校ではひたすら「オレたちひょうきん族」の
ネタで、クラス中を笑わせることに
全身全霊をかけていた。

小学校から家まで歩いて3分。
毎日速攻で帰って小銭を大量にポケットに入れ、
近くの商店街の駄菓子屋へ行く。

ひとしきり友だちと食べたら、
遊びの誘いには一切乗らずにひとりで帰る。
近くの小さな「ことぶき書店」に寄って、
欲しい本があったら買って帰る。

夕食まではずっと、
ピアノを弾いているか本を読んでいるか、音楽を聴いているか。

学校での騒々しいひょうきん者な時間も、
家での寡黙で大人びた時間も、
どちらも欠くことのできない大切な、大好きな時間だった。


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色々なジャンルの本を読んだけれど、
印象に残っているのがある。
安部公房の『砂の女』だ。



なぜ印象に残っているかというと、
この本を父に取り上げられたからだった。
「これは、小学2年生の子供が読むような本じゃないんだよ。」
私を叱ったことのない父は少し遠慮ぎみに、
でもこれは譲れないという感じで言った。

今思い返すと、父親の心配が微笑ましいような気がする。


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河合隼雄は著書『中年クライシス』の中で、
ライフサイクルとしての中年期を
『砂の女』になぞらえて考えることを提案している。




『中年クライシス』から引用して...
『仕事をどのようにこなしてゆくか、
家族の問題をどう解決してゆくか。
毎日毎日が大変で、
ほかのことなど考える余裕はない。』
というのは、
『砂の女』の
砂を掻き出すことに追われる毎日と重なり、


『中年になってあくせく働き、時には
出世したり成功したりしたと思いさえするが、
その間に、ほとんど目に見えぬほどの砂が
だんだん降り積もって、人間の「たましい」を
侵食してきているのではなかろうか。』
というのも、
『砂の女』の主人公と女の
焦燥感や、疲れ果てた様子に重なる。



そして

『人間は時に「自分自身が、砂になる.......
砂の眼でもって、物をみる」
のがよさそうに思う。
といっても、
砂の世界に生きる男は溜水装置という
なぐさみ物を持っているし、
女のほうはラジオを手に入れて
大喜びしているのだから、
何らかの工夫をしないことには、
砂になってばかりいるわけにもいかない、
ということになるだろう。
中年の生き方には工夫がいるのである。』
と結論づけている。

提案しつつ、
「貴方の価値観」を尊重して、
安直な押しつけをしないのが
河合隼雄の好ましいところだ。


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『砂の女』に関しては、色々な作家が
生きることと、砂の中に生活することの関連を述べている。



たしか村上春樹もどこかで、
砂を掻き出す作業と結婚生活をなぞらえて話をしていたような。。

というかそもそも、
村上春樹は『ねじまき鳥クロニカル』
大事なモチーフ「井戸掘り」に
結婚生活を暗示している。



さらに村上春樹はエッセイで、
『僕自身は結婚してから長い間、
結婚生活というのはお互いの欠落を
埋め合うためのものじゃないかというふうに
ぼんやり考えていました。
でも最近になって(中略)
それはむしろお互いの欠落を暴きたてる課程の
連続に過ぎなかったのではないかと。
(中略)考えてみると怖いことですね。』
と述べている。

そして
結局は自分の欠落を埋めることができるのは
自分自身でしかないと言っている。
その欠落の大きさと場所を自分できっちり認識するために、
夫婦で井戸掘りするのが結婚生活なのだと。
その井戸掘りを嫌がって相手を変えたりしても、
まぁ井戸掘りをしないことには仕方がない、
そういうことを書いている。

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話が結婚生活という方面に偏ったけれど、
でも詰まるところ、
人生には「砂掻き」「井戸掘り」が
ついてまわるのかなと思っている。

私が音楽を日々やっているのも、
「砂掻き」「井戸掘り」ということになる。
精神的な意味での「生きる」というのは、
やはり「掘って掻き出す」ことなんじゃないかな。


余談だけど村上春樹が
『ねじまき鳥クロニカル』を書くときにあった
イメージは夏目漱石の『門』だそうで、
『草枕』『砂の女』『ねじまき鳥クロニカル』『門』
そしてグールドの『ゴールドベルク変奏曲』、
これらのシンクロを面白く感じずにはいられない。


今日はここまで。まだ続く。。



2016年12月9日金曜日

漱石とグールドと安部公房と武満

今日は夏目漱石の没後100年の日だという。


精神分析の本なんかを読んでいると、
漱石とその妻鏡子のエピソードが
引き合いに出されることが多くて、
小説だけでなく、
少々(?)問題のある人物像も
明らかになっている作家の一人だ。



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クラシック音楽を好きな人ならば
誰もが知っている、
グレン・グールドというピアニストがいる。

センセーションを巻き起こした
演奏解釈と活動方法、
奇人変人的な振る舞いとで、
没後30年経った今でも
色褪せず人気のある音楽家だ。


グールドの変人さを物語るエピソードをいくつか。

●彼が使っていたピアノ椅子は
父親の手作りで、座面は高さ30センチ。
足を組んでいたり、
よく小学校で椅子をユラユラさせて
後ろにひっくり返る子の直前みたいな、
そういう状態で弾くこと多し。


●彼のレコードやCDには必ず
『グールド自身の歌声など一部ノイズがございます。ご了承下さい』
と断り書きがある。
彼の現代音楽の録音を深夜に聴くと、
すごく怖い。

●首に冷気が当たると体に良くないとして、
真夏でも厚着。マフラーと手袋は必須。

●コンサートで弾いている最中、
突然演奏をやめて「冷気がくる」と言って
2階の扉をしっかり閉めさせる。

●健康のために毎日、
何十錠ものサプリメントを飲んでいた。

まぁ、軽いのだとこんな感じ。
(重いのは・・書けまへん。。)


そのグールドが愛読していたのが、
漱石の本だった。
愛読というより、漱石に取り付かれていたと
いう方が合っていると、
グールドの研究家たちは言う。


グールドは英訳された漱石のあらゆる作品を
熟読していて、
その中でも特に気に入っていたのが
『草枕』だった。

今最新の、人気イラストレーターの『草枕』。
グールドはどんな表紙のを所持していたのかな。。


『草枕』をグールドは、
訳者の違う4冊と、
日本語のものとを持っていた。
グールドが亡くなった日の枕元にも、
『草枕』があったと
彼のお父さんが言っている。


異世界に迷い込んだような
この小説に、
グールドはどう惹かれていたのだろうか。

ストーリーがどうというよりは、
深く、深く、自己の問いに対峙するこの作品は、
いかにもグールドが好きそうな、
という気もする。


センセーショナルを巻き起こした
バッハの「ゴールドベルク変奏曲」を
発表した時には、すでに
『草枕』の虜になっていたようだ。


また『草枕』には、
主人公の青年に重要な影響を与えたもの
として、ミレイのオフィーリアが出てくる。
漱石もオフィーリア好きだったんだね。。



漱石の没後100年という点から、
グールドを偲び始めて・・・



子どもの頃のグールドと、利口そうな犬



変人でもチャーミングなのよね。




と思ったら、あ、あれ?
こういう類人猿、見たことあるな〜。
って、みんな思ったでしょ?
私は高校生の頃、
少なからずこの写真にショックを受けた(笑)



大量のサプリを飲んでいた頃。
鍵盤に近い(笑)




グールドを好きな人なら
微笑ましく笑うだろう動画もいくつか。


家でのグールド、幸せそう。



演奏は5分過ぎから。
バーンスタインとは沢山仕事をしたね。。
いろいろあったみたいだけど。。。
この録画はしてくれて良かった。



これを初めて見たときは
おかしくて笑い転げたなぁ。。。
あのメニューインを!
こんなふうに扱ってよいのだろうか(笑)
もう少し、気にしてあげて!!



『漱石とグールドと安部公房と武満と』
取り留めのない回想は、まだまだ続く。。。


2016年10月24日月曜日

絵から分かるその人の趣味

少し前に、音楽関係の人と、美術関係の人が集まるお茶会に呼んでもらった。
実に楽しいひとときで、
皆さんの絵にまつわるエピソードが心に残った。



私が1番好きな絵は、
中学生の頃からず〜っと変わらず
ミレイのオフィーリアなのだ。

何の絵が好きかで、
その人の表面よりはむしろ内に秘めた性質が
分かるような気がする。

私は物心のついた頃にはもう小径好きで、
(小径好き、けっこういるでしょ?どう?)
この絵にもその種の独特の美しさが宿っている。


こわい、でも美しい・・・
ぎりぎりのところでせめぎ合っている絵で、
こういう雰囲気に若い頃すごく惹かれた。
そして今も変わらず、色褪せることなく、
この絵の魅力に心をつかまれたままだ。
私は実は一途なのかもしれない。


それでミレイという画家が1番好きなのかというと、
このオフィーリア以外にはあまり興味がない(笑)



「つばめよつばめ」
ミレイの他の絵でまぁまぁ好きなのは、
こういう路線の絵かなぁ。


「憩い」
こういう絵の好きな理由は、
服とインテリアがかなりツボだから、という感じか。


「ニーナ・レーマン」
白いドレスを着ている女の子の絵は、
誰が描いても大抵好きである。


そういえばターシャ・テューダーも
ひ孫によく白いドレスを着せて
花をもたせてデッサンしたり。


少女と白いドレスは
最強で完璧な組み合わせなんだ。




好きな絵は「オフィーリア」。
じゃ好きな画家は誰かな〜・・と考えると、
やっぱりモネかな。
何で好きなのかな〜・・と考える。。


「睡蓮」
モネの絵には、
心を駆け抜ける閃光のような新鮮さがある。
私は何においても、『新鮮さ命』の人間だ。


ハーブを育てるのが好きなのだけど、
その枝葉を手折った瞬間に
パッと立ち上がるフレッシュな香り・・
この感覚が、とにかく好きなのだ。



音楽もしかり。
その、音の生まれる『瞬間』に心が熱くなる。
その「生きてる」新鮮さを味わいたいのである。



「春の花」
夜に眠り、次の朝に目覚めたとき、
それはいつもの朝という感覚よりも、
まるで初めての朝なのでは?
というような感覚で目覚めることが多い。
ありとあらゆる事柄から、
新鮮さを抽出して胸をときめかすのが好きなのだ。



「サン・タドレスのビーチ」
この絵を見るといつも、
ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』の世界に
連れていかれてしまう。
なんとも美しく、滑稽なほどの哀しさに
心を奪われるのだ。




「チャリングクロス橋」
モネはモネでも、こういう絵は
最近心に浸みるようになってきた。


時の変化で、物の見え方が違ってくる。



思い出に対する自分の受け止め方が、
スライドして変化していく。
そういうお年頃だから、こういう絵が浸みるのだろう。


モネの絵を実際に初めて見たのは、
7歳の頃に親に連れて行かれた
私には最初の大きな展覧会だった。
その時の鮮烈な印象を、今もよく覚えている。



モネの壮年期の作品。
これにはフォーレの若い頃のヴァイオリンソナタ1番なんて
よく似合うんじゃないかな。



モネ最晩年の作品。上の橋と、同じ場所。
これにはフォーレ晩年のヴァイオリンソナタ2番とか、
チェロソナタなんかが聞こえてくる。
いいなぁ〜。すっかり虜だな。

どういう絵が好きかで、その人の内面が見えてくるから
私は誰かの好きな絵の話を聞くのがすきだ。
その人の歩みを見る気がして、
より愛着を持って敬意を持って接するようになれるからだ。


私はモネを最初に見たから、新鮮な感覚が好きなのかな。
それとも、新鮮さが好きだから、モネが好きなのかな。
こんなことをつれづれに考えながら、
今日もよい一日だったな。。と眠りにつく。。。



2016年10月8日土曜日

みんな違って、みんないい

夕べ、ベートーヴェンの後期ソナタ群の聴き比べをしていた。

聴いたのは、
リヒテル、ルービンシュタイン、
ケンプ、バックハウス、ゼルキン、
ホロヴィッツ、アラウ、ヘス、
ギレリス、アニーフィッシャー、
バレンボイム、キーシン、ポリーニ、
ブレンデル、イヴナット、グールド。


ずいぶん聴いたね(笑)
それぞれに素晴らしいけれど
この中で特に気に入ったのは、
ルービンシュタイン、ギレリス、リヒテル、ゼルキンの4名だった。


ルービンシュタインのはライブ音源を聴いたのだけど、
もう、随所で音が楽譜と全然違う(笑)
以前にもショパン英雄ポロネーズで、
中間部の左手がオクターブ連動するあの有名な場面を
はなから音なんてどうでもいいという感じで、
全く違う音をず〜っと猛烈に弾いていた。
それでいて現実を超越した臨場感を漲らせて、
皆を興奮のるつぼへと追い込む、もの凄い演奏だった。
今回もまた、ベートーヴェンでもやってるんだね確信犯だな、という感じ。案の定、お客さんが大喜びなのが録音から伝わってきた。
ルービンシュタインもコルトーも、恍惚とすると目からビームが出るんだよな・・あれ、ちょっと怖い(笑)






ギレリスに関しては、この鉄人みたいな人に
今までそれほど興味を持てなかった。
もの凄くうまいから、沢山聴いたけれど。
どこが上手いのか具体的に分析的によく分かるのだけど、
何せあまり趣味じゃなかった。
だけど、後期のソナタにはこの男気がバチ〜っと噛み合って、
初めてギレリスを心から格好いいと思ったのと同時に、
最高レベルのピアニスト達の中でも群を抜いているんだと思った。
皆が怖れるピアニストだというのを、実感を持って感じてしまった。
男気あふれるダンディズム・・恐れ入りました





リヒテルを好きなピアニストは多い。
他のピアニストを決して褒めない一癖も二癖もある名ピアニストたち、
ホロヴィッツが、グールドが、ルービンシュタインが、
リヒテルにだけは首ったけ。
リヒテルはもう、ピアノという楽器を奏でているのではない。
彼が、音楽そのものとしか思えない、そういう存在なのだ。
あ、でも、母親の夫がいらんことを言いに会いに来た後などは、傷ついてボロボロの演奏だから注意しよう。録音を選ぶべし(笑)
一人だけ若い頃の写真にしよう。贔屓。だってリヒテル大好きだもん。





そして、ゼルキン。
夕べつくづく思ったのが、『系譜』についてだ。
私に音楽の文法を叩き込んだのは、ゴールドベルク山根美代子というピアニストだ。
彼女は幼い頃にアメリカに渡って、以来ゼルキンの愛弟子だった。
ゼルキンの演奏を聴いていると、全てを言葉で説明できるほどに私にとっては自然。
そう、ゼルキンから山根美代子に叩き込まれた文法が、私にも受け継がれているからだ。
そしてゼルキンの息のかかった人の演奏は、聴けばそれが分かるのだ。知らない人であっても。

ベートーヴェン後期のソナタは内容が濃厚なので、どんなに素晴らしい演奏でも1日1回でお腹がいっぱいになる。
だけどゼルキンの演奏は、1日に100回聴いたって多分疲れないんじゃないかな。
そして面白いのは、それでも私はゼルキンと似た演奏にはならないことだ。
その人間の美的感覚、趣向、個性がにじみ出て、自分だけの音楽が自由に広がる。
みんな違って、みんないい。だから面白い。
しかし・・なんて指の太さだろう。まるでタラコだね。いい音するだろうね。





2016年10月4日火曜日

いい気分で

ベートーヴェンを弾いていたら、
ピアノの弦が切れてしまった!



曲中、1度しか出てこないその高音部
思い切りいったら・・




速攻で調律師さんに連絡!



相棒は、1907年製のニューヨークスタインウェイ
性格よし、音色よし、ビジュアルよし。

大切に管理しているけれど、
今日のような気圧の変わり目は、
楽器に負担が大きいのかもしれない。
早くお天気が安定するといいな。。。


2016年9月26日月曜日

縛らないゆるさ

最近、こんな本を読んだ。

『その島のひとたちは、ひとの話をきかない
 〜精神科医、「自殺希少地域」を行く』



全国で自殺が最も少ないとされる5カ所の地域をめぐり、人々の生活を観察した本。

徳島県旧海部町(現・海陽町)、青森県風間浦村、青森県旧平舘村(現・外ヶ浜町)、広島県下蒲刈島、東京都神津島。


どこもかなりの田舎で、
人間関係がしっかり濃密に出来上がっているのかと思いきや、
これらの地域の人々は人づき合いが希薄なのだとか。

親しい友人やコミュニティーをほとんど作らず、
あいさつ程度の付き合いにとどめた人間関係を基本としているようだ。

分かりやすい出来事で言うと、
「ひとの話をきかない人が多い」
「右へならえを嫌う」
「赤い羽根共同募金の寄付立が低い」
「色々な人がいていいと思っている」など。

なるほど、わずらわしい義務感で人を縛ったり、
人にどう思われるかを気にし過ぎたり、
自分の感覚を人に押しつけたり、という事が少ないわけだ。


自殺が少ない地域だからといって、ここのやり方を見習うわけではないけれど、
人が人を縛って苦しくさせるものの正体は、よく見えてくる本だと思う。



2016年8月3日水曜日

王者の香り

庭のバジルが最盛期。
こちらは一般的なスィートバジル。
夏の食欲を支えてくれる救世主だ。


こちらはジェノバ・バジル、葉が丸っこい。
香りがより一層素晴らしく、
松の実やオリーブオイルを加えて
バジルペーストを作るのに適している。


どうやら世の中には、『レタスバジル』という
サラダレタスのような姿のバジルがあるらしい。
焼き肉をはさんで食べると最高だそうで・・
どこに流通しているんだろう?
そんなの食欲倍増じゃないか。欲しいぞ。



こちらはダークオパールバジル。
白ワインビネガーに漬けて、
赤紫の綺麗なドレッシングを作る用。
緑のバジルに比べると、成長がゆっくり。


バジルの語源はギリシア語の
「basilikon(王者にふさわしいもの)」で、
古代ギリシャでは香水にして体にふりかけていたとか。
・・?こんな美味しそうな匂いを体に?
・・・・・山猫軒みたいだな(笑)




最近はやっているバジルシード飲料、
まだ飲んだことがないのだけど(ゆ、勇気が!)
美味しいのかな?
タイではタピオカのような感覚で、
ココナッツジュースに入れて飲むそうで、それは美味しそうな感じが想像できる。



日本に伝来したのは江戸時代、
和名は「目ぼうき」。
なんでも水に濡らしてゼリー状になった種を、
目に入れてゴミを洗い流したとか。
・・・ゴミを洗い流す?種がゴミなんじゃ?
痛そう。昔の医療って、今から考えると怖いなぁ。。


確かヘンデルも、目の病気で(白内障かな?)
医者の診断「目の悪霊を追い出す」とかいって
教会の祭壇で針を・・・あぁ〜もう、リアル春琴抄。



2016年7月26日火曜日

心が潤うとき

ジュイ展に行った際、
Bunkamura内にある花屋のディスプレイに目を奪われた。


なにこれ!可愛い〜!
花器がハート型で、しかも水がうっすらピンク。


これもまぁ、なんて素敵な!
一緒に行った夫を待たせて、しばし見とれる・・・。



クレマチスを、こんな細長い花器に活けるなんて、、
あ〜麗しい。なんて素敵。癒やされる・・・。

ここからディスプレイの写真や、活けている動画を見ることができる。




2016年7月25日月曜日

マリーアントワネットのドレス変化(へんげ)

トワル・ド・ジュイ展で、
マリーアントワネットとジュイ更紗に関する
展示やビデオ上映を見てきた。


何年か前に公開になった映画
『マリーアントワネット』で、
そういえば晩年のマリーアントワネットは
可愛らしい綿のドレスを軽やかに
着こなしていたなと思い出した。


多くの女性がマリーアントワネットに
「わかるわ〜!」と共感したこの映画、
監督はあの、世の女性達から絶大な支持を集めるソフィア・コッポラである。


またベルサイユ宮殿を貸し切りで撮影した
絢爛豪華な映像にも、一見の価値がある。

演じるキルスティン・ダンストは最高にキュートで、
要所要所でかかるパンク音楽も
マリーアントワネットの少女性を表現していて
映画に彩りを与えていた。


私は映画館で観て、
DVDが発売されてまた速攻で買ったという、
女性にとっては見所満載な映画なのだ。



この頃の1級貴婦人は、
絹のドレスを着るのが当たり前。
絹は肌に良さそうではあるけれど、
形からして着やすそうではないなぁ。


朝の着替えからして、思い通りにはならない。
王太子妃に着替えを渡す栄誉のために
上流貴婦人たちが列になって並ぶ。
みんなもったいぶって動きが緩慢、
王太子妃は恥ずかしいやら寒いしで大変なのだ。


ドレスは絹だけれど、
壁紙やソファは、ジュイ更紗かもしれない。

しかし・・・この時代の整髪料は何だったのか。
実際とんでもなく逆立っていたようだし、すごい技だ。



この扇、なんて可愛らしいんでしょ。
これにそっくりの綿布も、
金色をどうやって施したのか展示されていた。



でました!ジュイ更紗のドレス。
センセーショナルを巻き起こした綿ドレス。


似合うわ〜。
実際のマリーアントワネットも、
さぞかし可憐だったことだろう。



お母さんになったマリーアントワネット。
自然派が流行って田舎に別荘を持ったり、
綿が受け入れられていった時代背景がよく分かる。




最後に・・
ハープシコードを弾くマリーアントワネット。
毎日のように家庭教師が来ていたそうで、
バッハのメヌエットとか弾いていたんだろうな。




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