2016年7月26日火曜日

心が潤うとき

ジュイ展に行った際、
Bunkamura内にある花屋のディスプレイに目を奪われた。


なにこれ!可愛い〜!
花器がハート型で、しかも水がうっすらピンク。


これもまぁ、なんて素敵な!
一緒に行った夫を待たせて、しばし見とれる・・・。



クレマチスを、こんな細長い花器に活けるなんて、、
あ〜麗しい。なんて素敵。癒やされる・・・。

ここからディスプレイの写真や、活けている動画を見ることができる。




2016年7月25日月曜日

マリーアントワネットのドレス変化(へんげ)

トワル・ド・ジュイ展で、
マリーアントワネットとジュイ更紗に関する
展示やビデオ上映を見てきた。


何年か前に公開になった映画
『マリーアントワネット』で、
そういえば晩年のマリーアントワネットは
可愛らしい綿のドレスを軽やかに
着こなしていたなと思い出した。


多くの女性がマリーアントワネットに
「わかるわ〜!」と共感したこの映画、
監督はあの、世の女性達から絶大な支持を集めるソフィア・コッポラである。


またベルサイユ宮殿を貸し切りで撮影した
絢爛豪華な映像にも、一見の価値がある。

演じるキルスティン・ダンストは最高にキュートで、
要所要所でかかるパンク音楽も
マリーアントワネットの少女性を表現していて
映画に彩りを与えていた。


私は映画館で観て、
DVDが発売されてまた速攻で買ったという、
女性にとっては見所満載な映画なのだ。



この頃の1級貴婦人は、
絹のドレスを着るのが当たり前。
絹は肌に良さそうではあるけれど、
形からして着やすそうではないなぁ。


朝の着替えからして、思い通りにはならない。
王太子妃に着替えを渡す栄誉のために
上流貴婦人たちが列になって並ぶ。
みんなもったいぶって動きが緩慢、
王太子妃は恥ずかしいやら寒いしで大変なのだ。


ドレスは絹だけれど、
壁紙やソファは、ジュイ更紗かもしれない。

しかし・・・この時代の整髪料は何だったのか。
実際とんでもなく逆立っていたようだし、すごい技だ。



この扇、なんて可愛らしいんでしょ。
これにそっくりの綿布も、
金色をどうやって施したのか展示されていた。



でました!ジュイ更紗のドレス。
センセーショナルを巻き起こした綿ドレス。


似合うわ〜。
実際のマリーアントワネットも、
さぞかし可憐だったことだろう。



お母さんになったマリーアントワネット。
自然派が流行って田舎に別荘を持ったり、
綿が受け入れられていった時代背景がよく分かる。




最後に・・
ハープシコードを弾くマリーアントワネット。
毎日のように家庭教師が来ていたそうで、
バッハのメヌエットとか弾いていたんだろうな。




2016年7月16日土曜日

特性、からの客観性に還る。

さて、シリーズ(?)で書いた
「他者の才能への対応で分かる特性」、
最後は平野啓一郎の場合で締めくくります。




平野の新著『マチネの終わりに』。

主人公はクラシックギターの奏者で、
中堅の年齢になった時にスランプになって、
そんなときに若い才能に追い上げられるという描写がある。


平野は常々、
「自分をおびやかす才能の持ち主が現れたとき、
 その人を才能ごとまるごと愛する他に、
 その苦しみから逃れる道はないのではないか」
というようなことを言っている。

この発言は、実にこの人らしいなと思う。
平野は比較的、誰かと対談する仕事も多い作家だと思う。

それでだいたいいつも、他者の意見に対して、
「そうですね」
「そういう人いますよ」
「なんだか分かるような気はします」と、
まずは認めてあげることが多い。
認めてあげてから、「僕の場合は・・」と
しっかり自分の意見を述べる。
というか、相手の話の角度からそこに絡めて
自分の意見をはっきり言うことができるので、
対談が面白くなるのだ。
この仕事が多いのも頷ける。


この人は分人主義だから、
「どんな時でも自分は自分」ではなくて、
「相手によって自分は変わるものだ」という
思想の持ち主である所と、対談の立ち位置と、
見ていて実に合点がいく。一貫している。


この人の特性は、
やっぱり客観的に自分と周囲の状況を見ながら、
余裕を持って相手に敬意を持ちながら、
どんな時もひがまず、歪まず、
「相手を活かして自分も生かす」
これがこの人の特性のように思う。



ひがまず、といえば・・・
落語家の桂歌丸が、以前面白いことを言っていた。
あ、緑の着物のほうが良かったかな?


若い頃から愛嬌のある人だね、
芸人に愛嬌は大切・・いや、誰にとっても大切なことかも。



落語家になったばかりの頃、
大師匠のところへ挨拶に行ったら
「あたしゃ、売れてる人間としか喋らないよ」
と言われたらしい。

これはどういうことかというと、
売れない人間はそれを誰かのせいにしたり、
ひがんでいたり、陰気になっていると。
そういう人間と話した後では、
いい落語ができるわけがない。
だから喋らない。

何年かして大師匠のほうから
声をかけてもらえるようになった時、
ものすごく嬉しかったと、歌丸がこういう話をしていた。


あぁ〜、ものすごくよく分かる。
陰気な人と話した後は、
音楽に集中できないのでとても困る。


この陰気というのは、口数とは関係がなくて、
うるさい位によく喋る人でも、
愚痴や悪口の多いひとは
ものすごく陰気だと思う。

こういう人と話した後は、
負のエネルギーをてんこ盛りにされて、
なかなか集中ができない。
要するに心が疲れてしまう。


明るい精神の持ち主で、人の良いところを
見ることができる人と一緒にいると、
その人が賑やかな人であろうが
静かな人であろうが、
心が元気になって
素晴らしい演奏に繋がっていったりする。

どういう人と接するかというのは、
人生において本当に大切なことなのだ。


この明るい精神というのを持つには、
やっぱり、客観性が必要なのかなと思う。
(あぁ、ここに辿り着いたか!)

このシリーズで幾つかのキーワードが
出てきたけれども、
(習慣性とか、柔軟性とか、、)
どのキーワードにも付属していたのが
客観性で、やっぱり客観性ありきかなと。


たしかに・・・
あまりに自分を客観視できない人は
いつでも大変そうにしているし、
そういう人と接すると疲れるから
人にも敬遠されてひがみっぽくなる。

客観性が不足すると
頭の中が整頓できなくなるし、
卵が先か鶏が先か、
周りが見えなくなって心が曇る。


・・・これはえらいことですな!


山田太一ほどでなくても、
鈴木敏夫ほどでなくても、
自分を客観視するということを
出来るだけ忘れないで生きていきたい、
そう思ったのであった。


ふぅ〜、長いシリーズだったなぁ。
ようやく終わりです!


長いついでに追記・・・
『マチネの終わりに』はもともと毎日新聞の連載で、
私はウェブ版「note」で読んだのだけど、
この連載の価値の1つとして、
挿絵が素晴らしかったんだなぁ。。




約10ヶ月の連載で、毎日1枚ずつの挿絵が、
最終的には繋がって巨大な1枚の絵になるっていう。

しかも連想ゲーム的な絵で、
私の脳内も連想ゲーム的に思考する趣味があるもんで、すごく好きでした。



2016年7月15日金曜日

特性、手塚治虫の場合 その2

前回で書いたような
手塚治虫のこうしたエピソードは、
他にも山ほどある。

自分が描いていない性質の漫画が流行れば
一旦はそれを全否定で
「そんなのは漫画じゃない!」
と言っておいて、
しかしそれを自分に取り入れていく。

一旦は激昂するけれど、その後で
客観的によく考えることができて、
どういう仕組みなのか驚くべきスピードで分析したところで「それは面白い!」と思うんだろうな。

その柔軟性。驚くべき次元の柔軟性。
そこが手塚治虫の特性だと思う。



忍者ものが流行れば自分も描き、
妖怪ブームが来れば自分も描き、
楳図ブームが来れば自分も怪奇ものを描き、
「機を見るに敏」である。
あの人はただがむしゃらだったり、
運で第一線にいたのではない事が分かる。



石ノ森章太郎が、鈴木敏夫にある時・・
「手塚先生はすごいね」
「なにがすごいんですか?」
「あの人は漫画が好きだ」

鈴木は(漫画家なんだから当たり前じゃないか?と思いつつ・・)
「石ノ森さんだって、漫画すきでしょ?」
「違うよ。僕はお仕事だもん。」
「先生は本当に好きなんだよ。きみね、ここの違いは大きいよ。」
こんなことを話していたらしい。


そう、誰よりも好きだからこそ、
ライバルの要素をも取り入れて真っ向勝負する。
普通なら、あれこれフラフラと手を出すと
精神が破綻しそうなものだけど、
芯がある人だからこそ出来たんだろう。


手塚治虫の漫画ならば、私はブラックジャックが好き。


2016年7月14日木曜日

特性、手塚治虫の場合 その1

前回の記事で、他者の才能への対処の仕方で
その人の特性が分かるという話を、
村上春樹の場合で考えてみた。

といっても村上春樹は存命なこともあって、
第3者の「こぼれ話」的エピソードが少ない。
だから曖昧な推測話になってしまったのだが・・


今度は手塚治虫の特性について書いてみよう。
手塚治虫の場合は故人なので、
関わった人々が色々と証言していて面白い。


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ジブリの鈴木敏夫がまだ徳間書店に勤めていた頃
編集者として手塚治虫についていた。

ある年の暮れ、
アニメージュという月刊誌の企画で
日本のアニメーション界の1年を振り返る
という座談会があった。

その座談会に出席したのは
当時「火の鳥」のアニメーション等で
多忙な手塚治虫の他に、



後に「ガンダム」を描く富野由悠季や

「巨人の星」  「あしたのジョー」のプロデューサー
藤岡豊などがいた。


この日の司会を任された手塚は
上機嫌で会をスタートさせたが、
話が「宇宙戦艦ヤマト」になった時・・・


・・・・・
この年、アニメ界を宇宙戦艦ヤマトが席巻した。
多忙な手塚はヤマトの名前くらいは知っていたが
内容については一切知らなかった。

座談会の席上で手塚は
「ヤマトって一体なんなの?」
と問い、皆がそれに答えるうちに様子が掴めてきた。
そして手塚は次第に涙を溜めていった。

皆が驚いて「先生、どうされたんですか?」
と聞くと、
「僕は今日は本当に悲しい。」
思いを吐露し始めた。
「ヤマトっていうのは、浪速節でしょう?
 僕は浪速節が嫌いで、そういうものが
 若い人達に支持されているのならば、
 僕が戦後、科学を少年文化に持ち込んで
 合理的に物を考える人間になってほしいと
 願いをこめてやってきたことが、
 全く意味がなかったということでしょ」
そういって泣いてしまった。


・・・ものすごい負けず嫌い!(笑)おもろい。
座談会のこの部分はもちろん誌面には載らなかったけれど、
後に座談会に出席していた何人かが同様の証言をしている。


本心なのか、負けず嫌いが言わせたのか、
本当のところは分からないけれど、
ヤマトは嫌い!で終わらないのが
手塚治虫の凄い所なのだ。

全否定した浪速節を、
この後自分の漫画に取り入れていく。



また、この時の座談会で
今年の10大ニュースとして『美形キャラ』の話になった。
美形キャラとは、宮本武蔵で言うところの
佐々木小次郎タイプのことで、
敵役が美形という、その頃に流行り始めたもの。


これにも負けず嫌いな手塚は怒る怒る。
「なんというくだらない事が流行っているんだ!」
「なんですか?その美形キャラっていうのは!?」


しかし、やはりここからが手塚の凄いところなのだ。
座談会が無事に(?)終わり、
皆はそれぞれに解散し、鈴木は会社へ戻る。
鈴木が会社に着いてしばらくすると、手塚から電話が入る。

「あ、鈴木くん!」
「はいどうも、今日はありがとうございました。
 なんですか?わざわざ?」
「きみ、今日『美形キャラ』の話が出てたでしょ?」
「あぁ、先生が怒ってらっしゃったのですよね?」
「あれを描かせて1番うまいのは誰なんだね?」
「え・・・荒木真吾って人なんですけど、
 この人が1番うまいですかね・・・」
「その人の連絡先、分かるかな?」
「(絶句)・・・なんなんですかそれ!?」
「いやぁ、やっぱり『火の鳥』にも
 美形キャラが必要だろぅ?」


いや〜、すごい。
しかも、方向転換までの時間が早い!

荒木伸吾の花の子ルンルン。
たしか敵役にトゲニシアっていう
美女がいたような。。

いた〜。確かに佐々木小次郎タイプの、
クールな美形キャラね。



荒木さんには「火の鳥」のキャラクターを描いてもらえたのだろうか?

手塚治虫の特性については、次回に続く。

2016年7月12日火曜日

他者の才能への対応で分かる、特性

前回までの「客観視」「客観視、からの山田太一」で、
ジブリ・鈴木敏夫と作家・山田太一が
客観的な性質に優れていることを書いた。

また、村上春樹が敬愛する河合隼雄が、
作家としては山田太一を高く評価していることも書いた。


色々な分野の人達を見ていて感じることの1つに、
他者の才能に嫉妬することで
身を持ち崩す人が意外と多い、というのがある。

異性関係の嫉妬などよりも、
才能に恵まれた者の場合、この手の嫉妬のほうが
魂の根幹に関わるデリケートな問題であったりする。

しかしこの点、村上春樹は実に見事に対処できているようだ。


それをうまく対処するとき
(沈み込んで再起不能にならず、
 自分の才能を全うさせるとき)、
その人に備わった特性が見えてくる。


村上春樹の場合は客観性はもちろん、
習慣性という特性によって救われているのかもしれない。

優れた芸術家や学者、スポーツ選手は皆、
自分を律する習慣性を持っている。

その中でも村上春樹の場合は、
それらを上回る習慣性の持ち主だと思う。
そして自分をその気にさせるのがうまい。


他の優れた人達は、
自分をその気にさせてくれる誰かを
近くに置いていたりするのだけど、
村上春樹は自家発電というか、
徹底したルーティーンによって
自分をその気にさせることができるのだ。

自分の精神状態がどんな時でも、それが出来る。
それがこの人の特性なのではないかな、と思う。



次は手塚治虫の特性へと、続く。



2016年7月11日月曜日

客観視、からの山田太一

前々回の記事「客観視」で書いたように、
ポッドキャストを聴いていたら
山田太一の話が出てきた。
私にとってはタイムリーである。


6月半ば、我が家にお客様を招いてホームパーティーをした。
そこで村上春樹と河合隼雄の対談本
「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」の話になり、
この本を読んでいたお客様から
「村上春樹は河合隼雄をものすごく
 尊敬していているけれど、
 それは片思いなんだよなぁ」
「河合隼雄が本当に認めている作家は、
 山田太一なんですよ。」
という話を聞いた。


山田太一といえば「ふぞろいの林檎たち」の
原作・脚本でおなじみで、
小説を沢山書いているけれど私は読んだことがなかった。

「いい小説をいっぱい書いてるんで、ぜひ読んでみて下さい」
と勧めてもらって
河合隼雄をとりこにするとはどんな人なのか、
とても興味を持った。

客観的な感性を司る人かぁ。
自分を客観視することって、何をするにも重要なんだよな。

連想ゲーム的に、この話は続く。





2016年7月9日土曜日

客観視

最近たまに、鈴木敏夫の『ジブリ汗まみれ』という
ラジオのポッドキャストを聴くことがある。
番組名のセンスはさておき、よく喋る軽いノリの鈴木が面白い。




このポッドキャストのある回で、
『自分を客観視すること』の話になった。
この回の聴き手はキャスターの渡辺真理。


この中で、宮崎駿や高畑勲がくり出す無理難題を
鈴木敏夫はなぜそんなに柔軟に
受け止められるのかという話になった。

その事について鈴木は
「たいした事だと思ってないからですよ(笑)」
「たいした事なんて、人生にせいぜい3回位しかないんじゃないですか」
と飄々と答えていた。


続けて、
昔いい加減な若者がいたから随分と叱って教育したが、
その若者が大人になってから
「鈴木さんは1度も感情的に怒らなかったので有り難かった」と感謝された話、

それから「風立ちぬ」「かぐやひめ」にそれぞれ50億円かかって、
それを人から「そんなにお金をかけて心配にならないんですか?」とよく聞かれるけど
「心配にならないんです、だって人ごとだと思っているから」とこういう話をしていた。



それを聞いた渡辺真理は驚いて
「ここまでのジャーナリスティックな方にはお会いしたことがない」
「筑紫さんだって、久米さんだって、ここまで徹底的にご自分を客観視されてはいなかったですよ」

鈴木もまた「まぁね、僕が客観的だという事は、最初に高畑さんに指摘されたんですよねぇ・・・」と考えながら、

「僕は昔から、ジャーナリスティックな人って好きなんですよ。」
「ジャーナリスティックな人が作ったものって、好きだったんですよ。山田太一さんとか。」


おぉ〜山田太一の名前が出てきた。タイムリー。
次回に続く。


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