2018年5月6日日曜日

ケナリ・カルテット

最近、Kenari Quartet というサックス4人のグループを知った。


小さいほうからソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス、バリトンサックスで、知るきっかけになったカプースチン含めレパートリーが広い。


カプースチン『24のプレリュード』から第10番

カプースチンの『24のプレリュード』というのはピアノの曲で、私も弾いたことがある。とても難易度の高い曲で、一人で弾いていても各声部のリズムを操るのが容易くない。

それを4人で、4人いるということはリズム感の指令を出す脳が4つあるということで1人で演奏するより難しいと思う。にも関わらず、このカルテットは見事にスリリングなリズムの遊びを楽しんでいる。



カプースチン『24のプレリュード』より第24番 
自分たちでカルテット用に編曲しているようだ。
さっきの曲より複雑な要素に彩られたこの曲もなかなか素晴らしい。
全員が高い技術を持っているのはもちろん、やはり目を見張るのは一番低音を吹いているバリトンサックスの上手さである(左から2番目)。


アンサンブルでの役回りで、バスを支配するものは野球で言うところのキャッチャーだ。全てを見渡して経験と瞬時の判断でゲームを勝利に進めることが求められる。
よくある編成だと、室内楽ならばチェロが、オーケストラならコントラバスや打楽器が、二重奏ならばピアノがキャッチャーの役目を引き受ける。
キャッチャーの役目をしている奏者を見るのは楽しく、上手い奏者であればあるほど見応えもある。



バッハ イタリア協奏曲 3楽章
このバッハもかなりイケてる演奏である。
サックスのカルテットでこんなに感嘆する日が来ようとは!好きなものが増えて、嬉しい。



カルテットではバリトンサックスだった人が、ソプラノサックスで二重奏している動画を発見した。サックスとピアノかぁ、、と思いながら見てみたら、、、
この人ほんとにうまいな!持ち替えでこれだけ出来るのは当たり前のことではない。
それでサックスとピアノという難しい組み合わせだというのに、素晴らしいじゃないか!
しかもこのピアニストが物凄く上手い。なかなかこうはならないと思う。それで上手そうに見えないあたりがなんともすごいギャップ(笑)


ケナリカルテット、ぜひ生で聴いてみたいものだ。



2018年5月1日火曜日

映画と音楽の相乗効果

今さらだけど映画の『桐島、部活やめるってよ』を観た。
原作から飛び出して単体の映画として、永遠に愛され続けるような素晴らしい作品だと思った。

この映画は単なる青春映画とかスクールカーストの話ではなくて、もっと深いところの話だ。何のために生きるのか、心ってなんなのか、そういうことをテーマにしている。


映画の中で、前田(神木隆之介)が持っていて叩き落されてしまった映画雑誌の創刊者、
町山智浩の映画解説は面白いからオススメ。


この映画の中で私が圧巻だと思ったのは音楽の使い方で、ワーグナーの『ローエングリン』から「エルザの大聖堂への行進」が映画のクライマックスで大変な功績を果たしている。

この曲はもともとオペラの一部分でオーケストラが原曲なのだけど、吹奏楽に編曲されたものがあって、吹奏楽の世界では有名な曲らしい。
この吹奏楽版が、素晴らしい曲なのだ!オーケストラより、ブラスなのがいい。なぜなら、ブラスは青春の音がするからだ。


まず、この曲の始まりと共に、映画は屋上のシーンへと動き出す。
音楽は4小節ごとにフレーズが区切られて作られていて、この4小節ごとに屋上へ向かう生徒たちが増えてゆく構造で、音楽と映像のタイミングが見事なのである。
そして静かな曲の始まりと、駆け出していく高校生たちの激しさとのギャップが、若い焦燥感を際立てている。


次に、屋上でのシーンになる直前、音楽はちょうど最初の転調をしている。
この転調で、今まで関わることのなかった映画部と運動部や帰宅部の生徒たちが思いもしない展開へ進んでいくことを予感させ、こちらの心理を釘付けにすることに成功している。


桐島は?桐島は?と口々に探す声と、音楽の構成上つなぎの部分の短いフレーズの繰り返しによって、生徒たちの出口のないドツボにはまる感覚を一緒に味わうことになる。


そしてバレー部の久保が、映画部の備品を蹴飛ばした瞬間に変ホ長調に転調して、前田が「待て。謝れ、僕たちに謝れ」と言うところ。
変ホ長調といえばシンフォニー「英雄」やピアノコンチェルト「皇帝」など神々しく君臨するものを表すときに使う調性で、前田が初めて運動部にものを言う逆転現象に、インパクトと正当性を与えている。


そしてこの後、曲の冒頭で4小節ごとに区切られていたモチーフが、この曲本命の主旋律となって高らかに堂々と提示される。
ここでは映画部の部員たちが「特殊な隕石なんだよ」「そうだ謝れ!」と口々に言うのと重なって、今この場では映画部にイニシアチブがあることを印象付けている。


そのあと前田に掴みかかった久保を、同じバレー部の風介が駆け寄って止める時、ここで曲中唯一のチューバのメロディーが始まる。
最も低音のチューバは吹奏楽にとって大切な礎となる楽器で、この低音がいなければ音楽は崩れて成り立たない。
少し前に「何とかしようとしても(俺は)この程度なんだよ!」と体中で悲壮な叫びを上げた風介が、「試合に出れなくなんだろ!」と久保を懸命に止めるのを見て、低音の包容力のある音色と、なおもバレー部のためを考える風介の姿とが重なって、一見惨めに見えていた風介の青春のもがきに度量の深さが加わって、この場面は映画の中でやはりチューバのような穏やかな効き目となって感銘を与えるのだった。



そして「こいつら全員喰い殺せ!」からの「よ〜い、スタート!」まで、再び音楽の短いフレーズの繰り返しによってまたドツボにはまる感覚と、宙ぶらりんの状況を味わせられるという、次の爆発的なシーンの前に必要なタメの時間を作ることに成功している。


そしてゾンビたちが生徒たちに襲いかかる瞬間、音楽のほうもクライマックスで、これ以上ないほど神々しい変ホ長調主和音の第2転回形という最もワクワクが止まらない、でありながら不安定極まりない性質の和音を、フルの合奏で高らかに鳴らすのだ。

そして前田の頭の中だけに映っている想像の8ミリビデオの映像と、それまで進行を抑えてきた音楽が自由に旋律を謳歌して混ざり合って、竜汰(恋敵)のちぎれた腕のミサンガがアップになる時、主和音に対してダークな存在である属和音がクレッシェンドで存分に鳴り響く。

そして変ホ長調の主和音、今度は転回形ではなくて主音上に乗った王道の一番輝かしい響きが鳴り響く瞬間に、かすみ(橋本愛)が映る。


かすみが喰われ、前田が叫びながら倒れたとき、前田のコンプレックスと失恋は映画によって昇華されるのだった。

そしてまた素晴らしい演奏を終えた吹奏楽の部長の表情から、彼女もまた失恋の痛みを音楽によって昇華させ、迷いの世界から部活に戻ることを決めるのだ。


いや〜、本当に素晴らしいシーンだった。

この屋上のシーンを見ていて、それぞれの楽器の音と登場人物の動きが見事にリンクして、『人生とは交響曲の一音のようなものだ』と言った哲学者を思い出してグッときてしまった。

「エルザの大聖堂への行進」 アメリカ ベイラー大学吹奏楽


原作ではエルザではない違う曲名が書いてある。
映画はたぶん脚本の段階で、音楽の効果を微細に計画してエルザに決まったのだろう。
私は映画の技法はよく分からないけれど、音楽の面であればその計画を覗くことができるから、音楽の面だけ見てもやはり素晴らしく感動する映画というのは、全てにおいてしっかり作り込んであるのだろうとリスペクトの気持ちでいっぱいになった。



それからこの映画は、エンドロールで流れる主題歌も抜群に良い。
主題歌は映画のために書き下ろされたもので、映画が終わった直後だと、劇中で心を語ることのなかったもう1人の主人公・宏樹(東出昌大)の魂の叫びのようにも聞こえる。

高橋優「陽はまた昇る」PV



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